- Just Let Me Play!(http://games.slashdot.org/games/06/06/06/1728224.shtml)
ロックされたフィーチャーを多数用意することで、プレイ時間の引き延ばしを図る最近のゲームに対する苦言。特にゲームを遊ぶ時間が少なくなってくると、こういうロックされたコンテンツを遊びきるのは難しくなってくるよね。
かと言って全てのコンテンツがまったくロックされてないと、今度はゲームをやりこむことなくさっと表面をなめただけで終わらせてしまうということも否めない。人は簡単なほうにどんどん流れるからねえ。たとえそれがゲームであっても。縦シューを連コインで無理矢理終わらせた時のむなしさとか、あんまり味わいたくないし。その辺を考えると、多くのコンシューマーシューティングにおいてコイン数が制限されているのは納得できるデザインだ。
問題は、最近の多くのゲームが50時間とかいう膨大なプレイ時間を想定してロックをかけるため、とてもじゃないがその全てを遊びきれない、ということだと思う。RPGとかならしょうがないけど、最近はレースゲーとかでもこの辺の縛りがきついからなあ。ありがたいことにシューティングにはまだあんまりこの風潮がないが、R-TYPE FINAL方面の流れを汲むものが出てくると、そうも言ってられないかも。
そういった意味では、俺の屍を越えてゆけの最初にプレイ時間が選択できるシステムは画期的だったのだが、このシステムに追随するゲームってぜんぜん無いな。なんでだろう。やはりバランス調整が難しすぎるのか。まあ最初にEASYからHARDの難易度を選ばせるゲームは最近多いので、形を変えて受け継がれているともいえよう。
俺屍のシステムをさらにもう一歩すすめて、最初に10時間でゲームを終わらせると設定した後、プレイヤーの腕前を観察、それに応じて難易度やレベルデザインを動的に変更することで、無理矢理にでも正確に10時間で終わらせるとかいうゲームを作ってくれないかな。ローグライクなゲームならともかく、ストーリーのあるRPGでは作るのが相当難しいとは思うが。9時間50分経過した時点で薬草とか買ってたら、実は道具屋の親父がラスボスとかいう超展開を見せないと時間内に終わらなさそうだし。
魔王の軍勢が押し寄せるまであと10時間、とか設定しておいて最後に強制的にラスボス戦、八百長試合をやってラスボスが負けるとかいうのが一番安直なデザインだけど、こりゃダメだな。つうかこのシステムだと10時間後にプレイヤーがグッドエンディングを迎えることが保障されていて、ゲームとしてのカタルシスがほとんど無いことに気づいた。ちなみにバッドエンディングもあるように設計してしまうと、プレイ時間が(10 x グッドエンディングを迎えるまでのリトライ回数)時間になってしまい、当初の要件を満たしていないのでダメ。
なので最初にプレイ時間が保証されている限り、どんなに頑張ろうがパッドにまったく触れずに放置しておこうが同じ結末を迎えるというなんともしまらないゲームになるので、そもそもそういったゲームは原理的に作れないのか?プレイ時間は同じだけど、プレイ内容をスコアで評価、とかいうのがまあまあ妥当かね。スコアアタックのためのリトライが発生してしまうという問題もあるが、そんくらいは許容しないとだめか。
でもそれって残機無限の強制スクロールシューティングと同じシステムだよなあ。緊迫感がなさすぎる。固定かつ保障されたプレイ時間と緊迫感を両立する手段はやっぱり無いのかな。