テレビCMでなんもしないのに連鎖するケータイ向けパズルゲームやってて、なんだこりゃみんなこんなので満足するのかと思った。でもよく考えると自分もシムシティでなんもしないのに発展する都市とかぼさっと見てるだけで満足してるので同じようなもんかとも思った。
こういったプレイヤーからの介入が少ない見てるだけゲーは、いわゆるカジュアルゲームと呼ばれる部類に入るのであろうか。そもそもカジュアルゲームってのが何を指しているのかは相当あいまいだとは思うが。
- Casual game (Wikipedia:en:Casual_game)
- Extremely simple gameplay, like a puzzle game that can be played entirely using a one-button mouse or cellphone keypad
- Allowing gameplay in short bursts, during work breaks or, in the case of portable and cell phone games, on public transportation
- The ability to quickly reach a final stage, or continuous play with no need to save the game
非常に単純で短い時間で遊べるゲーム、ぐらいしか定義としてはなさそう。操作の簡単さという観点では、見てるだけゲーもカジュアルゲームではありそう。
Wikipediaにカジュアルゲームとして挙げられているものは、フリーセル、テトリス、Bejeweledなど。我らが革新的Peggleも挙げられているな。
そういえばPeggleもどちらかというと見てるだけゲーだ。基本パチンコなので、ボールを打ち出した後はやることなくプレイヤーは見てるだけ。ただそのボールがちゃんと思った通りに飛んでいくかで一喜一憂できるから楽しいんだよな。
あと前にカルチョビットでも似たようなこと書いたっけ。
そう考えるとプレイヤーからの入力は最低限、だけどその結果を見てるのが楽しい、という点さえクリアできていれば見てるだけゲーも悪くなさそう。ただ、その入力と結果の間に明確なつながりがあるという感覚や錯覚は必要なのかもしれない。おれの腕がよかったから、このような素晴らしい結果になったのだ、という手ごたえが。
入力と結果の関係があまりに関係ないとプレイヤーが思ってしまうと、それはクソゲーだろう。でも実際はそうでもないのかなあ。自分の腕前が結果に反映されないなんてゲームじゃないとか思うのはゲーマーだけの発想で、べつに腕前がどうであろうとも楽しく遊べりゃそれでいい、ってのが真のカジュアルゲームなのか。それでも自分の入力がないがしろにされてる感は誰にとってもうれしくないと思うのだが。この辺の感覚はべたべたのゲーマーに堕ちてしまった人間には分からんね。
シューティングなどのプレイヤーに毎フレームの入力を要求するアクションゲームは見てるだけゲーとは対極にあるゲームで、そういったゲームばっかり作ってる人間にとっては見てるだけゲーの作り方はぜんぜん分からん。まあでもゲームのネタを広げるという意味ではそういった違うゲームを考えるのも面白いかもしれないな。1ステージに1回しか入力しなくていい見てるだけシューティングとか。