私は昔から「無限ランダムひどいアクションゲーム生成器」が欲しいと思っていた。
ゲームそれ自体を自動生成してくれる機械が欲しい。開発者はその機械が生成するゲームを遊んで良ゲーなら採用、クソゲーなら捨てる、その作業だけでゲームが作れる。夢の機械だ。
人が後で見て取捨選択する前提なら、出来上がるものの大半ではクソゲーでもいい。それよりも大切なのはゲームの持つルールというか、仕組みというか、ギミックというか、そういったものが十分なバリエーションを持って生成されること。似たようなゲームしか作られないのではつまらない。
これは2015年に書いたブログだが、それからおよそ10年経った今、高性能なAIチャットボットの力を得て、これが実現できるようになってきた。LLMの性能向上により、ゲームとしての独創性を持ったものすら作れるようになった。さらに重要なのは、プロンプトやファイルを通じて様々なコンテンツ制作に関する知識を与えられるようになり、人間の持つノウハウを活用できるようになった点だ。
なので、最近の私はワンボタンゲームを、AIチャットボットClaudeとの共同作業で作っている。
これらワンボタンアクションミニゲームの集大成、寄せ集め、ごった煮である、1x111(ワン・タイムズ・ワンワンワン)をリリースしたのが、2024年の主な成果であった。良ければ遊んでください。
このように、人間側で工夫を凝らすことで、ある限られた分野では、ある程度創造的なタスクもAIが行えるように思える。だが、広い範囲での創造性、いわゆる芸術の領域で、AIは活動できているのだろうか。
Ted Chiangは「人間の芸術作品の価値は、個人の人生経験と観客との相互作用から生まれる」と主張する。感情も欲望もなく本当の意味でのコミュニケーション能力がないAIには芸術は作れない、と。
でも本当にそうだろうか?
AIチャットボットと創作する中で気づいたのは、AIは常に「融合」とか「調和」とか、そういった抽象的なところに着地しがちということだ。たしかに、それでは創造的結果は得られない。
だが、今は自分なりの創造のプロセスとかノウハウとか経験とか、そういったものをAIに与えることができる。そうすれば、こういった無難な着地を回避して、より独創的な発想へと到達する。そういったことができるのではないか。
「私らしい」が「予想外」の創造。個人の経験を拡張・再解釈・再組み合せできる能力。そういったものをAIが備えれば、創造的タスクにおいてもAIが活用できるだろう。2025年のさらに賢くなったAIチャットボットには、論理的思考だけでなく、こういったオープンな発想にも強みを持っていて欲しいね。