カルチョビットのインタラクティブ性の低さは異常

こんなに何もできないゲームだったとは。古いタイプのゲーマーにはカルチャーショック。これはあれか?リトルコンピューターピープルのトラウマを再発させようという陰謀か?

でも面白いんだよなあ。試合中とかただぼーっと見ているだけなんだけど、それを楽しめてしまう。次はこうすれば良くなるんじゃないかという妄想を膨らませるに足る異常に作りこまれたチビキャラの動きと、ただ見ているだけで課題カードが手に入るというお買い得感のせいだと思うのだが、ゲーム中のぼけっと見てるだけシーンの中では相当優れた逸品だね。

シムシティとかのGod Simもぼさっと眺めているだけというフェーズはあるのだが、そいつらはプレイヤーがその気になればいつでもゲームに介入できるという点がカルチョビットと違う。カルチョビットは試合中は徹底的に何もできないからなあ。できるのは選手交代だけ。しかも3回だけ。

もどかしさを出すためにこの何も操作できない試合シーンが実現されたようだが、私がそこから感じたのは異質なまったり感だ。操作できないという点ではカットシーンとかと同じだが、カルチョビットの試合シーンはさらに極端なこと言うと見てなくてもいい。カットシーンはその内容をちゃんと凝視していないと、その後のストーリーのつながりとかが分からなくなってしまうため、プレイヤーを画面に縛り付けるのに対し、カルチョビットの試合シーンはたまに横目で見て、あーもうちょっとサイドのスピードを上げないとダメかなー、とかいうおぼろげな情報を得ているだけでもなんとかなる。このタイミングでこの指示をださねば!とかいうアグレッシブなインタラクションはそもそも禁止されているし。そういった意味では、カットシーン以下のインタラクティブ性かもしれん。

カルチョビットは試合シーン以外は結構忙しい。試合日程を頭に入れ、どのような選手のローテーションを組むか考え、適切な特訓でパラメタを上げ、けが人に対応すべくベンチを入れ替える。ただコマンド自体は簡単なので、判断したあとそれを実行するのは一瞬、でまたまったりと試合を見る、という異様な緩急のついた、というか緩緩緩緩緩急がついたシステムになっていて、古いゲーム、特にステージ間リザルト表示以外休みなし縦シューとかの急急急急急急急急急緩なゲームに慣れた人間の目には、このシステムは異常に映る。これはあれか?スローライフってやつか?LOHASか?

脳トレとかもそうだけど、こういった極端な緩急をシステム側から強制的にプレイヤーに与えるのが、昨今のゲームの流行りなのかなあ。カルチョビット脳トレと違って日ごとの制約などはないけども、プレイヤーからのインタラクションを積極的に禁止するという点ではさらに進んでいる。

カットシーンはゲームを操作しない時間を増やすことでゲームの裾野を広げたが、その先にはゲーム画面を見ない時間を増やすことでゲームの裾野を広げるという世界があるのかもしれない。さらにその先にはゲームをしない時間を増やすことでゲームの裾野を広げ……だんだん何を言っているのか分からなくなってきました。