でも趣味の個人ゲーム製作者には選択の余地がない

とかいろいろ考えても、のら個人ゲーム製作をやっている我々には選択の余地がなく、プログラマ兼ゲームデザイナ兼グラフィッカ兼コンポーザー兼いろいろ、いろいろだ。どうせ古いゲームの焼き直しみたいなものを作ってばっかりですよーだ!

とかひねくれていてもしょうがない。小規模な独立系デベロッパは、市場に縛られない分自由にゲームをデザインできるけど、従来のゲームという枠にとらわれないデザインをするにはコミュニティが偏りすぎている、という問題もあることを認識しないといけない。だからフリーゲームでは、昔のゲームのクローンをやたら多く見かけるんだよなあ。

そもそも自分でゲームを作るような、強度のゲーマー脳の人間に、今までのゲームの枠にとらわれないゲームを作れ!って言うことに無理がある。ゲーマー脳は、きっちりとしたゴールのある古典的なゲームに楽しみを感じるよう長い年月をかけて熟成されたものだから、前の論文でいうボーダーラインケースのものをそもそも楽しめないんじゃないかと思う。で、自分が楽しめないものは作れない。いや作れるかもしれんが、趣味でそれをやるのは苦痛だよね。

まあでも無理をしてまで、いままでのゲームとは全然違うゲームを作ってやるぜ!とか気張る必要は特にはないんじゃないかなあとも思うわけで。そもそも、市場から昨今消え去っている昔かたぎのゲームがたくさんあるわけで、それを個人ゲーム製作者がほそぼそと復興させつつ、じりじりと前進させるという姿は決して悪くない、というかそれが私にとっての理想だ。

そんなんじゃゲームはこれからお先真っ暗だぜ!とかいう理念に燃える人がいるなら、先ほどの論文のゲーム図をまじまじと見つめ、新しいゲームはどこにあるのかを探す作業をしてみるのもいいだろう。真に新しいゲームは、この図の中の「ゲームではない」と書かれている部分に埋まっているかも。